ドキドキの中東の旅へ挑戦することにした。拙い英語で最も難しいと言われるイスラエルの国境を越えれるだろうか?何のトラブルなく無事に日本に帰ってこれるだろうか?
12日
深夜カタール航空にてドーハ乗り継ぎヨルダンへ
13日
10時30分 アンマン空港へ到着。タクシーで予約済みの今夜の宿、アラビアンスイーツホテルへ向かっていると、全く違う名前のホテルで降ろされた。運転手がホテルに電話して場所を確認してたはずだけど?ホテルの名前が変わったのか?きょとんとしていると運転手にタクシー代が足りないといわれ、間違えて20ドルも余分に払ってしまった。
ホテルの受付に行くと別の男にこっちに来いと言われ、隣のホテルに連れて行かれた。このホテルこそアラビアンスイーツ!どうやらここのホテルのオーナーが全然客が来ないので、心配していろいろ電話して探してくれたみたいだ。
やっとホテルに到着しオーナーに、予定がいっぱいだから今日中に死海に行くことが出来ないか相談。するとオーナーについて来いと言われ、自宅に案内された。どうやら今日はツアー会社はやってないからオーナー自ら案内するとのことだった。ホテルの客のドイツ人と一緒にツアースタート!途中でパンやデザートを買ってくれた。1時間ほどで死海に到着。死海は思ったより汚かったが、確かに体が浮いた。
ツアー後、ホテルから近くのジェットバスの会社で明日のぺトラ遺跡行きのチケットゲット。
14日
朝6時30分、バス出発。3時間ほどでぺトラ到着。6000円くらいの高額入場券だったが、巨大で素晴らしい遺跡群で、まさに絶景の宝庫だった。しかしながら敷地内の端まで行くのになんと2時間もかかった。灼熱地獄の中、かなりしんどかった。
帰りのバスはなぜか違う場所で降ろされ、とてもあせった。タクシーにぼられ、なんとかホテルへ。
15日
昨日予約しておいたキングフセイン橋行バスに乗る。いよいよ緊張のヨルダン、イスラエルの国境越えだ。
日本人夫婦、女性、若者2人でまずヨルダン側で手続き。その後バスに乗り、行列の受付に並ぶ。その後イミグレーションで質問攻め。しかしあまり意味がわからず、適当に英語で返答しているとムッとした顔をされたが、なんとか通過させてくれた。
全部で2時間くらいかかったかな。僕が童顔だからか何回もハウオールド?と聞かれた。
また国境付近で写真を撮ってたら、係員にカメラ取り上げられ、写真を消されて焦った。
そしてついに国境を越えイスラエルに着いた。
同じイスラエルホステルを予約していたフランス人女性と一緒に宿に向かう。道に迷いながらなんとか宿に辿り着き、そのままイスラエル観光へ。
旧市街地はキリスト、ユダヤ、イスラムの聖地がある不思議な場所だ。
嘆きの壁、ゴルゴダの丘などは時間内に行けたが、ユダヤの岩のドームには間に合わなかった。それにしても入り組んだ町並みは迷路のよう。インドのバラナシを思い出した。まずいラーメン1杯2000円以上の物価の高さにも驚いた。
夜はライトアップして門のあたりはルミナリエのようだった。ほんとにこの国に戦争があるんだろうか?
そういえば街を歩くと、かなりたくさんの軍人に出合った。驚いたことに、なかには女性もいた。
歴史、文化、街並み、今まで行った中でも一番興味深い。
宿に戻り、台湾女性、カナダ男子と話ができた。宗教に熱心な人が多い中で、君は何で来た?と聞かれたが、綺麗な場所を見たいと言ったら笑われた。
16日
ダマスカス門近くのわかりにくいバス停でアレンビー橋へ。国境に着き、帰りは簡単に出国できた。
ヨルダン側から乗合タクシーでアンマン市内へ。途中、タクシーの運転手や乗客からパンやナッツをもらった。あとは自分で行けとタクシーをだいぶ手前で降ろされ、有名なファラホテルへ。
ちょっと休憩した後、市内観光へ。有名なエルサレムレストランで食事したが、美味しくなかった。
その後、ブラブラとモスクやマーケットへ。人や街並みが面白い。夕方になると祈りの放送が街に流れた。
17日
予約しておいたエアポートタクシーで空港へ。
特に何事もなく、無事帰れてホッとした
中東の旅。人や街並み、遺産、全てが素晴らしかった。
12日
深夜カタール航空にてドーハ乗り継ぎヨルダンへ
13日
10時30分 アンマン空港へ到着。タクシーで予約済みの今夜の宿、アラビアンスイーツホテルへ向かっていると、全く違う名前のホテルで降ろされた。運転手がホテルに電話して場所を確認してたはずだけど?ホテルの名前が変わったのか?きょとんとしていると運転手にタクシー代が足りないといわれ、間違えて20ドルも余分に払ってしまった。
ホテルの受付に行くと別の男にこっちに来いと言われ、隣のホテルに連れて行かれた。このホテルこそアラビアンスイーツ!どうやらここのホテルのオーナーが全然客が来ないので、心配していろいろ電話して探してくれたみたいだ。
やっとホテルに到着しオーナーに、予定がいっぱいだから今日中に死海に行くことが出来ないか相談。するとオーナーについて来いと言われ、自宅に案内された。どうやら今日はツアー会社はやってないからオーナー自ら案内するとのことだった。ホテルの客のドイツ人と一緒にツアースタート!途中でパンやデザートを買ってくれた。1時間ほどで死海に到着。死海は思ったより汚かったが、確かに体が浮いた。
ツアー後、ホテルから近くのジェットバスの会社で明日のぺトラ遺跡行きのチケットゲット。
14日
朝6時30分、バス出発。3時間ほどでぺトラ到着。6000円くらいの高額入場券だったが、巨大で素晴らしい遺跡群で、まさに絶景の宝庫だった。しかしながら敷地内の端まで行くのになんと2時間もかかった。灼熱地獄の中、かなりしんどかった。
帰りのバスはなぜか違う場所で降ろされ、とてもあせった。タクシーにぼられ、なんとかホテルへ。
15日
昨日予約しておいたキングフセイン橋行バスに乗る。いよいよ緊張のヨルダン、イスラエルの国境越えだ。
日本人夫婦、女性、若者2人でまずヨルダン側で手続き。その後バスに乗り、行列の受付に並ぶ。その後イミグレーションで質問攻め。しかしあまり意味がわからず、適当に英語で返答しているとムッとした顔をされたが、なんとか通過させてくれた。
全部で2時間くらいかかったかな。僕が童顔だからか何回もハウオールド?と聞かれた。
また国境付近で写真を撮ってたら、係員にカメラ取り上げられ、写真を消されて焦った。
そしてついに国境を越えイスラエルに着いた。
同じイスラエルホステルを予約していたフランス人女性と一緒に宿に向かう。道に迷いながらなんとか宿に辿り着き、そのままイスラエル観光へ。
旧市街地はキリスト、ユダヤ、イスラムの聖地がある不思議な場所だ。
嘆きの壁、ゴルゴダの丘などは時間内に行けたが、ユダヤの岩のドームには間に合わなかった。それにしても入り組んだ町並みは迷路のよう。インドのバラナシを思い出した。まずいラーメン1杯2000円以上の物価の高さにも驚いた。
夜はライトアップして門のあたりはルミナリエのようだった。ほんとにこの国に戦争があるんだろうか?
そういえば街を歩くと、かなりたくさんの軍人に出合った。驚いたことに、なかには女性もいた。
歴史、文化、街並み、今まで行った中でも一番興味深い。
宿に戻り、台湾女性、カナダ男子と話ができた。宗教に熱心な人が多い中で、君は何で来た?と聞かれたが、綺麗な場所を見たいと言ったら笑われた。
16日
ダマスカス門近くのわかりにくいバス停でアレンビー橋へ。国境に着き、帰りは簡単に出国できた。
ヨルダン側から乗合タクシーでアンマン市内へ。途中、タクシーの運転手や乗客からパンやナッツをもらった。あとは自分で行けとタクシーをだいぶ手前で降ろされ、有名なファラホテルへ。
ちょっと休憩した後、市内観光へ。有名なエルサレムレストランで食事したが、美味しくなかった。
その後、ブラブラとモスクやマーケットへ。人や街並みが面白い。夕方になると祈りの放送が街に流れた。
17日
予約しておいたエアポートタクシーで空港へ。
特に何事もなく、無事帰れてホッとした
中東の旅。人や街並み、遺産、全てが素晴らしかった。